別冊イチカレイカ

〆切のサブスク

嗜みとしての作文

言うなれば片づけたいという欲求で動いているから、身のまわりのものは勝手に整理されていく。始めは気持ちを落ち着ける目的で手近なものを整頓していただけだったが、気づいたら手段が目的になっていた。散らかりの供給不足への対処が必要だった。今思えば、書くことで頭の中を片づけるという手法には、わりと早い段階でたどり着いていた。思考は生きていると勝手に散らかるので便利だ。

書くことについて習った唯一の記憶が、文章教室20講という本だ。その名の通り、講座のテキストとして入手した。影響を受けた本を小説以外から選ぶなら、一番ではないのだが、三位以内に入ることは間違いない。この本と、最初に添削をしてくださった講師の方には大変感謝している。人生で初めて手にした名刺はこの方のもので、何度ファイルを変えても常に一番頭に入れている。

重要なのは片づけたい脳内のイメージなので、結果的に随筆の類になったり小説の形をとったりするだけで、本質的に違いはない。実際に起きたことを他人のイメージのように書けば客観視できるし、自分のイメージを書いていけばあたかも存在するかのように思える。イメージのまま写し取ると日記や随筆になり、イメージを反芻してシーンを起こすと小説などの創作になる。二次創作は、あらかじめ与えられたシーンを反芻してイメージを起こし、それをさらに反芻してまたシーンに落としたものだ。

例えばなにがしかの作品が気になると、その年表と地図が欲しくなる。この二つを作りながら作品を読み返していると、気になるシーンが系統立てられて頭に残ってくる。それらをさらに何度も思い返しているうちに、これはこうだ、というイメージが、ある日突然姿を見せる。一次の場合も似たようなもので、ソースが一箇所に依らないだけだ。とにかくそのイメージを見つけたらもう、どうしようもない。しっくりくる言葉で説明できるまで、仕方がないので書き続ける。

書いたものを公開する理由は偏に、そういったものを読むのが好きだからだ。アクセス数を伸ばしたい、頒布数を増やしたいという思いはほとんどない。ただ、誰か同じようなことが好きな人がなにかを探したとき、あるかないかで言えばあった方がいいかもな、という気持ちで上げている。最近よく使われる表現で言うと、プレゼンに近いものではあるが布教の意図はあまりない。強いて言うなら自由研究だ。

なぜイベントに参加するのか、ダウンロード販売やWeb掲載ではだめなのか、については、まず本という媒体、紙に印刷された文字が好きだということが絶対的にある。割り付けや装丁などで見た目を規定しそれにより付随情報を伝えたいという気持ちは力のなさからわいてはこない。なので次の理由は、モチベーションの高い人に出会う、という部分になる。イベントに足を運ぶ人は圧倒的に貪欲だ。Webでは埋もれてしまい閲覧数すら増えなくても、少しぐらい目に留めてもらえる可能性が、比較的、高い。もちろんシャッター風と列移動に煽られて埃をかぶるだけで終わることもある。それでも、誰かに届くかもしれない、その可能性のために今日も身を切り赤を出す。

唐突に、ブログ読んだよと言われたりする。全然知らない人が、いつも見てますと声をかけてくれる。全部くださいに思考停止しながら足し算をしたことがある。手書きのお手紙をいただいて、自分の組み立てた文字列が人の字で書かれている感動に震えたこともある。そんな圧倒的な体験が、公開を続けているとたまに起きる。他人、特に見ず知らずの人になにかが伝わり、少しでもその人を動かしたという実感は、人を生かす。

文化の恩恵は大きい。四時に起きて始発に乗って十九時半までホールにいると、なんでこんなことやってるんだっけという気持ちになることもある。別段難しい理由はなくて、イベント運営的な作業が好きだからというだけなのだが、一割ぐらいは創作について考えるのをやめないため、みたいなものがある、ような気がする。この文化が気が狂っていて好きなので、存続に値するとそれなりに主張できるようになっておきたいとも思うし、誰か同じようなことが好きな人が、先述のような圧倒的体験をする手助けになれるなら、その場に関わっていたい。

普通の人はタイトルをつけない

一般的に人が名前をつけるのは、自分の子どもぐらいではないのか? そんなことってあるかよ……いや、考えてみればあるような気がする。幼いころはまだしも(モンデンキント!)、ハイティーン以降となるとその行為を繰り返す人種は限られてくる。もしかしたら、幼年期にすら試みない人も多いのかもしれない。小説を読まない人生をおくる人々の存在に気づいたことが記憶に新しい。

一部の人種は名付けを繰り返す。好きな物語に加わる自分の写し、真似て空想した別の世界、そこで展開する新しい物語。ペンネーム、サークル、本、ペーパー。端末、ハンドル、サイト、ブログ。名前は言わば皿である。ある程度決め打ちのものもあれば、料理ができてから探すこともある。気に入った皿に対してなにを盛るか考えることもある。手持ちで間に合うことも多いが、それは決してベストな選択とは呼べないだろう。一個の人間の名付けという大一番を迎える前に、皆もっと軽いものを繰り返して慣れるべきだ。さあテキストエディタを開いて妄想の練習から、はい!

今年買ってよかったもの2016

5000円なんてなかった。除外は本、チケット、プリキュアポルノグラフィティ

そのまま洗える衣類ケース
久しぶりに無印からクリーンヒット。ブルーとグレーを一個ずつ使っている。中身が見えすぎないし、マチがあるのでちゃんと四角形になり鞄に詰めやすい。ネットだから中身が少なくてもかさばらない。そしてなにより商品名の通り、帰宅即丸ごと洗濯できる。大昔に衣類圧縮袋を2回ほど使って、圧縮のできなさと使った後の洗いにくさに辟易し、以降ビニルのショップバッグを使い捨てにしてきたが、ついに一つの解にたどり着いた。

三矢製菓 レモネード 215g
たまたま見つけて名前が気に入ったので買った。会社の冷蔵庫の上に置いたら、わりとあっさり消費された。みんなこんな駄菓子食べるのかと謎の感動を覚え、それからしばらくの間切らさないようにした。気に入って食べ過ぎたからと代金を支払ってくれる人が現れたり、俺は森永派だとこっちを箱買いしてくる人が出たりと面白い体験をさせてくれた。ちなみに三矢のはクッピーと似た、原材料が砂糖・コーンスターチから始まるやつで、森永のはブドウ糖。サンタさん1kgの袋ください。